番組概要
天下人へと駆け上がる羽柴秀吉を支えた参謀・竹中半兵衛の敗北を紐解く。播磨攻めに共に従軍した盟友・黒田官兵衛の人生最大の危機を防ぐことができなかった理由とは?
番組詳細
黒田官兵衛と共に羽柴秀吉を支えた軍略家・竹中半兵衛の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1544年、美濃の大名・斎藤道三に仕える豪族の子として生まれた半兵衛は21歳の時、主君・斎藤龍興の居城である稲葉山城をわずか18人で奪い取るという事件を起こす。その後、織田信長の家臣である秀吉の与力となり、浅井氏・朝倉氏の戦いに参加。さらに長篠・設楽原の戦いで武功を挙げ、軍略家として頭角を現す。
秀吉が中国攻めの総大将となると、半兵衛は自らの後継者と見なし、後に「両兵衛」と並び称される官兵衛と共に毛利方の諸将を攻略。ところが、官兵衛は謀反を起こした荒木村重を説得すべく有岡城に乗り込んだ際に捕らえられ、幽閉されてしまう。半兵衛は官兵衛の息子・黒田長政の命を必死に守るも、病が悪化し、官兵衛の幽閉中に36歳の若さでこの世を去ってしまう。半兵衛はなぜ、官兵衛の危機を防ぐことができなかったのか?
半兵衛が死に際まで安否を気にしていた官兵衛はおよそ一年後、有岡城が陥落したことにより救出され、半兵衛の期待通り、軍師として秀吉の天下統一に力を尽くす。半兵衛に命を救われた長政は半兵衛の兜を継承し、竹中家と黒田家は良好な関係を築いていく。織田軍が別所氏と攻防を繰り広げた三木城の戦いの際、秀吉が布陣した兵庫県三木市に半兵衛の墓が建っている。地元の人々が半兵衛に寄せる思いとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
BS11公式WEBサイトでは、みなさまからのメッセージを受け付け、公開しております。番組への率直なご意見やご感想など、どしどしお寄せください。お待ちしております! https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/