偉人・敗北からの教訓 第89回「家康に天下を取らせた武将たち①酒井忠次」
- 4/26 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
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番組概要
徳川四天王の一人で徳川家康の重臣筆頭とされる酒井忠次の敗北を紐解く。忠次はなぜ、晩年、主君・家康に冷たい言葉を浴びせられてしまったのか?その裏にあった物語とは?
番組詳細
晩年、徳川家康に冷遇されたと今日に伝わる酒井忠次の敗北から現代に通じる教訓を探る。1527年、三河国に生まれた忠次は幼い頃から家康の父・松平広忠に仕え、8歳の家康が今川義元の人質となり、駿府に向かう際には23歳の忠次が随行した。義元没後、三河平定に力を尽くした忠次は三方ヶ原の戦いや長篠・設楽ヶ原の戦いなどで智将ぶりを発揮。「海老すくい」と呼ばれる踊りで場を和ませるなど徳川家臣団からも慕われた。
家康が羽柴秀吉に従い、天下統一事業を支える中、眼病を患った忠次は62歳で長男・家次に家督を譲って隠居する。1590年、秀吉が北条氏を下し、家康が関東に移封された際、徳川四天王と称される他の3人には10万石以上の所領が与えられたが、酒井家当主・家次が拝領したのはわずか3万石だった。忠次は家康に直訴したものの、退けられてしまった。忠次はなぜ、家康に冷遇されてしまったのか?
隠居の身となった忠次は秀吉から1000石を拝領し、晩年を京都で暮らし、1596年、70歳で生涯を終えた。関ヶ原の戦い後、酒井家は譜代大名として徳川政権を支えていく。二代将軍・秀忠の代に嫡男・家次は越後高田藩10万石に移封され、孫の忠勝は出羽庄内藩14万石を与えられ、初代庄内藩主となる。そして幕末までおよそ250年、酒井家は庄内藩を治めていった。酒井家繁栄の礎を築いた酒井忠次の功績と魅力とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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