偉人・敗北からの教訓 第80回「平清盛・波間に消えた福原遷都の夢」
- 2/15 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
-
![](http://api2.bangumi.org/repix/monomedia/pgmst/342/media/onair/20230615/a377d2cf-018f-4408-bbad-4e3a958d6261.jpg?copy=(c)%20BS11)
番組概要
平安貴族に代わって朝廷の実権を握った平清盛の敗北を紐解く。自らの孫を天皇にし、京都から福原への遷都を計画するが、志半ばで断念せざるを得なくなった理由とは?
番組詳細
平安末期に台頭した平家の棟梁・平清盛の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1118年、伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれた清盛は、日宋貿易で財を成した父と共に出世街道を突き進むと、保元・平治の乱で武勇を示し、朝廷の軍事・警察権力を掌握。武士として初めて、朝廷の最高位である太政大臣にまで上り詰める。そして、自らの権力を維持すべく、婚姻政策により、皇族とのつながりを強めていった。
絶大な権力を手にした清盛はわが世の春を謳歌するが、その後、朝廷の最高実力者である後白河法皇と対立。自らの孫を安徳天皇として即位させると、都を日宋貿易の拠点として築いた福原に移し、新たな政治を主導しようとの野望を抱く。しかし、反平家勢力が諸国の源氏と共に次々と挙兵すると、清盛は折角、築いた福原の地を捨て、京都に戻らざるを得なくなった。清盛はなぜ、福原遷都の夢を絶たれてしまったのか?
理想の世を実現すべく進めていた福原遷都を断念し、京に戻った清盛は、源氏との戦いの勝利を目指し、動き出す。ところが、様々な策を巡らせていたその最中、病に見舞われ、あっけなくこの世を去ってしまう。自らの死を悟った清盛は病床でこう呟いたという。「葬儀などは無用。頼朝の首を墓前に供えよ」。清盛の死から4年、栄華を誇った平家は滅亡してしまう。清盛が歴史に残したものとは何だったのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
BS11公式WEBサイトでは、みなさまからのメッセージを受け付け、公開しております。番組への率直なご意見やご感想など、どしどしお寄せください。お待ちしております! https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
最終更新日時: